参拝したあと、境内の周囲をぐるりと歩いて小治田安萬侶(おはりだのやすまろ)の墓へ。
この人物の事は知らなかったのですが、古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)と名前が似ているなと思ったら、いずれも奈良時代の役人で、二人とも墓誌が残されている事で知られているようです。
多神社は、神武天皇の皇子 神八井耳命(かんやいみみのみこと)を祖とする、多氏が祀る神社です。
一方の都祁水分神社が鎮座する都祁という地名は、神武天皇の孫、都祁(つげ)直が闘鶏(つげ)国造となり、この地域を治めたことに由来するようです。
やはり、いずれも同族っぽいですね。
小治田安萬侶の墓へ行く道で、地名の書かれた看板を見ると、「都祁甲岡」とありました。
「甲岡(山)」に反応して目線を上げると、いかにも海人族が好きそうな山が正面にありました。
その中の整備された西古墳の墳頂に上がると、先ほどの山がまた正面に!
「絶対、この古墳はあの山を意識して築造されている」と、確信しましたが、やはりその時も山の名前はわからず仕舞いでした。
それから「あの山は何だったんだろう」と悶々と考える日々が続いたのですが、先ほどようやく判明しました!
その山の名は、額井岳(ぬかいだけ)、別名 大和富士というそうです。
大和富士と呼ばれるくらいですから、きっと有名な山なのでしょう。
それを知らなかったことが、ちょっとお恥ずかしい。
多神社に参拝されるとお分かりかと思いますが、境内から三輪山がよく見えます。
当初は都祁水分神社も、都祁山口神社に隣接するように鎮座しており、後に現在の位置に遷座したようです。
そして、その都祁山口神社を祀ったのは、前出の都祁直とされています。
つまり、多氏の祖、神八井耳命の孫。
という感じで、私の中で印象的な山と兎は繋がっているのです。
最近は、山の形状を見て「海人族が好きそうな山だな」と思うようになってきました(笑)
ここまで、長い駄文にお付き合いくださった方がいらしたら、どうもありがとうございました