妄想の餌

カテゴリ:妄想炸裂 > 日本に渡ってきた月の神

2021年5月25日facebook投稿より


先日、来月に予定されているイベントの一貫で、野焼きで土器を焼成しました。
この時に、陶芸の先生に伺ったのですが、油分の多いアカマツが、着火剤や薪に適しているのだとか。
私の故郷 多田(兵庫県川西市)には、オオタタネコの後裔、大神氏が祀ったとされる多太(タブト・本来はタダ)神社が鎮座しています。(現在は、源氏により祭神を変えられています)
オオタタネコとは、和泉国陶邑で見つかった大物主の子孫であり、三輪山を最初に祀った人物ですね。
陶邑は古墳時代、須恵器の生産が盛んな場所だったとされていますから、そこで育ったオオタタネコも須恵器の技術に精通しており、子孫である大神氏にも技を伝えたと考えてよいでしょう。
その多太神社の正面にそびえるのが、私の実家があった舎羅林山(しゃらりんざん)です。
舎羅林山の土は赤く粘土質であったので、大神氏との関係を感じていましたが、先生のお話を伺って、さらに山がアカマツだらけであった事を思い出しました。
子どもの頃、マツクイムシが流行し、「アカマツがどんどん枯れている」と大人たちが心配していた記憶があるのです。
これまで山のアカマツは天然に生えたものと思っていましたが、もしかしたら燃料として植えられた可能性もあるのかしら?
今回の野焼きの最高温度は約800度。
でも、アカマツを使えば、1000度を越えられるそうです。
須恵器を焼成するには1200度以上の熱が必要とされていますが、登窯と併用すれば、軽く越えられるでしょう。
県を跨ぎますが、川西市の隣市、池田市の五月山からは、須恵質陶棺が出土しています。
五月山には、多田から龍が逃げてきたとの伝承があり、その龍とは源氏に追われた大神氏ではないかと、私は考えています。(大物主は蛇の姿をしていると伝えられているため。古代において、蛇と龍は同意と考えられます)
こんな感じで、今朝も妄想が止まりません(笑)

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2021年5月19日facebook投稿より

もう10年近く前になるでしょうか。
旧鬼無里村の鬼伝説等を研究をされている高橋さんと、私のPNをきっかけに知り合いました。
それから数年後、高橋さんのオーディオブックのサムネイルイラストを描かせていただく機会をいただきました。
イラストを描かせていただいたオーディオブックの内容は、阿波國一宮 天石門別八倉比賣神社の伝承について。
こちらには、天照大神の葬祭が行われた記録が残っており、この地域では八倉比賣こと天照大神は、卑弥呼の事ともされているとのお話に興味を持ちました。
私の父方の出自は徳島なのですが、子どもの頃に行ったきりで詳しい場所は覚えておらず、「私のルーツも阿波なんですよ〜」と、この頃は軽いノリで高橋さんと話していた覚えがあります。
でも、月読伝承を追っていく内に阿波に興味を持ち、その中で「入田(にゅうた)」という地名を見かけて、聞き覚えがあると感じました。
母に確認したところ、やはり父方の郷は入田。
入田は丹生田が転じたともされ、その名の通り、かつては朱が採取されたそうです。
また、大化の改新後には名方郡埴土郷の波爾井の里とも呼ばれていたようなので、土器作りに適した土が採取されたのかもしれませんね。
それからさらに時が流れ、最近になって八倉比賣神社が入田にある事を知りました。
現在の所在地を見ると国府町矢野とあり、入田とは書かれていないので気付きませんでしたが、昔はこの地域も入田村に属し、八倉比賣神社も村内に鎮座していたようです。
入田については、他にも月読や猿田彦に関する事など、興味深い情報が数多く見られましたが、長くなりますので今日はこの辺で。
八倉比賣神社の伝承について興味をお持ちの方は、高橋さんのオーディオブックをお聴きくださいね。
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2021年3月22日facebook投稿より

先日、お仲間に都祁水分(つげみくまり)神社に連れて行っていただきました。

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参拝したあと、境内の周囲をぐるりと歩いて小治田安萬侶(おはりだのやすまろ)の墓へ。
この人物の事は知らなかったのですが、古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)と名前が似ているなと思ったら、いずれも奈良時代の役人で、二人とも墓誌が残されている事で知られているようです。
太安万侶については、奈良県田原本町の多坐弥志理都比古神社(通称 多神社)で我が国最古の墓誌が残された人物として、宮司様からお話を伺った事があります。

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多神社は、神武天皇の皇子 神八井耳命(かんやいみみのみこと)を祖とする、多氏が祀る神社です。
一方の都祁水分神社が鎮座する都祁という地名は、神武天皇の孫、都祁(つげ)直が闘鶏(つげ)国造となり、この地域を治めたことに由来するようです。
やはり、いずれも同族っぽいですね。
小治田安萬侶の墓へ行く道で、地名の書かれた看板を見ると、「都祁甲岡」とありました。
「甲岡(山)」に反応して目線を上げると、いかにも海人族が好きそうな山が正面にありました。
その場で地図を見ましたが、それらしき山は見当たらず、次の目的地三陵墓古墳群史跡公園へ。


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その中の整備された西古墳の墳頂に上がると、先ほどの山がまた正面に!
「絶対、この古墳はあの山を意識して築造されている」と、確信しましたが、やはりその時も山の名前はわからず仕舞いでした。
それから「あの山は何だったんだろう」と悶々と考える日々が続いたのですが、先ほどようやく判明しました!
その山の名は、額井岳(ぬかいだけ)、別名 大和富士というそうです。
大和富士と呼ばれるくらいですから、きっと有名な山なのでしょう。
それを知らなかったことが、ちょっとお恥ずかしい。
多神社に参拝されるとお分かりかと思いますが、境内から三輪山がよく見えます。
都祁水分神社から見た額井岳も、位置的には対面していますが、実は都祁水分神社の神は、より額井岳に近い場所に鎮座する、都祁山口神社近くの磐座に降臨したと伝えられているのです。


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当初は都祁水分神社も、都祁山口神社に隣接するように鎮座しており、後に現在の位置に遷座したようです。
そして、その都祁山口神社を祀ったのは、前出の都祁直とされています。
つまり、多氏の祖、神八井耳命の孫。
神八井耳命の父は、冒頭でお話したように神武天皇です。
神武天皇の父は、ウガヤフキアエズ。
ウガヤフキアエズのウは兎とも言われており、この神を祀る宮崎県の鵜戸神宮には、兎が祀られています。


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という感じで、私の中で印象的な山と兎は繋がっているのです。
最近は、山の形状を見て「海人族が好きそうな山だな」と思うようになってきました(笑)
ここまで、長い駄文にお付き合いくださった方がいらしたら、どうもありがとうございました😆💦
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2021年3月21日facebook投稿より

昨日、兎と月にご縁があるとの投稿をさせていただきましたら、お友達が兎の像の写真を送ってくださいました。
像のそばに立てられた看板を見ると、甲山(こうやま)寺の文字が。
ピンときて調べてみると、香川県の甲山(かぶとやま)の麓にあるお寺のようです。
個人的には、兎も甲山も海人族に関係しており、カブトを伏せたような形状の単独山は海人族のランドマークにされていたのではないかと推測しています。
ちなみに、兎は月読尊の化身とされ、海人族が信仰した神と思われます。
そんな月読尊や、月光菩薩を祀る寺社には、弘法大師や丹生一族が関係する場合が多い印象があります。
例に違わず、こちらのお寺にも、弘法大師の伝説が残っているようです。
おかげさまで、香川にも甲山があるという事を知るきっかけになりました。
これからは、この地域についても調べを進めていきたいと思います。
このように、折りに触れ、情報をくださる皆様に感謝です。


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2021年5月10日facebook投稿より

最近気になるワードは、ナリアイ(成合・成相)。
讃岐綾氏に繋がるのだろうか?
だとしたら、色々腑に落ちる事が…。
何か情報をお持ちの方がいらしたら、ご提供をお願いします。


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