2021年3月22日facebook投稿より

先日、お仲間に都祁水分(つげみくまり)神社に連れて行っていただきました。

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参拝したあと、境内の周囲をぐるりと歩いて小治田安萬侶(おはりだのやすまろ)の墓へ。
この人物の事は知らなかったのですが、古事記を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)と名前が似ているなと思ったら、いずれも奈良時代の役人で、二人とも墓誌が残されている事で知られているようです。
太安万侶については、奈良県田原本町の多坐弥志理都比古神社(通称 多神社)で我が国最古の墓誌が残された人物として、宮司様からお話を伺った事があります。

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多神社は、神武天皇の皇子 神八井耳命(かんやいみみのみこと)を祖とする、多氏が祀る神社です。
一方の都祁水分神社が鎮座する都祁という地名は、神武天皇の孫、都祁(つげ)直が闘鶏(つげ)国造となり、この地域を治めたことに由来するようです。
やはり、いずれも同族っぽいですね。
小治田安萬侶の墓へ行く道で、地名の書かれた看板を見ると、「都祁甲岡」とありました。
「甲岡(山)」に反応して目線を上げると、いかにも海人族が好きそうな山が正面にありました。
その場で地図を見ましたが、それらしき山は見当たらず、次の目的地三陵墓古墳群史跡公園へ。


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その中の整備された西古墳の墳頂に上がると、先ほどの山がまた正面に!
「絶対、この古墳はあの山を意識して築造されている」と、確信しましたが、やはりその時も山の名前はわからず仕舞いでした。
それから「あの山は何だったんだろう」と悶々と考える日々が続いたのですが、先ほどようやく判明しました!
その山の名は、額井岳(ぬかいだけ)、別名 大和富士というそうです。
大和富士と呼ばれるくらいですから、きっと有名な山なのでしょう。
それを知らなかったことが、ちょっとお恥ずかしい。
多神社に参拝されるとお分かりかと思いますが、境内から三輪山がよく見えます。
都祁水分神社から見た額井岳も、位置的には対面していますが、実は都祁水分神社の神は、より額井岳に近い場所に鎮座する、都祁山口神社近くの磐座に降臨したと伝えられているのです。


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当初は都祁水分神社も、都祁山口神社に隣接するように鎮座しており、後に現在の位置に遷座したようです。
そして、その都祁山口神社を祀ったのは、前出の都祁直とされています。
つまり、多氏の祖、神八井耳命の孫。
神八井耳命の父は、冒頭でお話したように神武天皇です。
神武天皇の父は、ウガヤフキアエズ。
ウガヤフキアエズのウは兎とも言われており、この神を祀る宮崎県の鵜戸神宮には、兎が祀られています。


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という感じで、私の中で印象的な山と兎は繋がっているのです。
最近は、山の形状を見て「海人族が好きそうな山だな」と思うようになってきました(笑)
ここまで、長い駄文にお付き合いくださった方がいらしたら、どうもありがとうございました😆💦