「剣の皇子」の関連で調べ物をしていたら、「三日月家」について書かれたブログに出会いました。
三日月家とは、正式には粟飯原(あいはら)家といい、徳島県の神山町を拠点とする旧家です。
▶︎三日月家(粟飯原家)の家紋。九曜の中心が日月。(awa-otoko's blogより引用)
別々に祀られた神々とナガオの関係でも書きましたが、九曜に不思議な縁を感じている私。
しかも、中央が日月になっているなんて、月読尊を探究する身としてはスルーできるはずがありません。
そこに書かれた解説によると三日月家は……。
●大宜都比売命(オオゲツヒメ)の神裔である
●大宜都比売命がこの地を訪れた時に、食事を提供したことで、粟飯原(あいはら)姓を賜った
●三日月と称する起因は、太祖月読尊に繋がる系譜から
●古来から、兎を狩ったり、食べることは禁じられている
●代々男子が継承し、家主となる者の体には三日月型の痕跡がある
などとなっています。
オオゲツヒメとは、日本神話に登場する女神で、食物の神と言われています。
古事記の中での記述はこうです。
高天原を追放されたスサノオが、オオゲツヒメに食物を求めると、女神は様々な食べ物でもてなした。
だが、スサノオが調理場をのぞき見ると、ヒメは口や鼻、尻から食材を取り出して調理していた。
「なんて汚い物を食べさせるのだ!」とスサノオが怒ってヒメを斬り殺すと、その頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。
これが日本書紀では、オオゲツヒメが保食神(うけもち)に、スサノオが月読尊に入れ替わっていますが、ほぼ同じ内容で語られています。
▶︎三日月家(粟飯原家)の家紋。九曜の中心が日月。(awa-otoko's blogより引用)
別々に祀られた神々とナガオの関係でも書きましたが、九曜に不思議な縁を感じている私。
しかも、中央が日月になっているなんて、月読尊を探究する身としてはスルーできるはずがありません。
そこに書かれた解説によると三日月家は……。
●大宜都比売命(オオゲツヒメ)の神裔である
●大宜都比売命がこの地を訪れた時に、食事を提供したことで、粟飯原(あいはら)姓を賜った
●三日月と称する起因は、太祖月読尊に繋がる系譜から
●古来から、兎を狩ったり、食べることは禁じられている
●代々男子が継承し、家主となる者の体には三日月型の痕跡がある
などとなっています。
オオゲツヒメとは、日本神話に登場する女神で、食物の神と言われています。
古事記の中での記述はこうです。
高天原を追放されたスサノオが、オオゲツヒメに食物を求めると、女神は様々な食べ物でもてなした。
だが、スサノオが調理場をのぞき見ると、ヒメは口や鼻、尻から食材を取り出して調理していた。
「なんて汚い物を食べさせるのだ!」とスサノオが怒ってヒメを斬り殺すと、その頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。
これが日本書紀では、オオゲツヒメが保食神(うけもち)に、スサノオが月読尊に入れ替わっていますが、ほぼ同じ内容で語られています。
このように類似したエピソードがあるために、スサノオと月読を同一神とする説もあります。
オオゲツヒメは伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神(とようけのおおかみ)とも同一とされますが、真偽は定かではありません。
兎を狩ったり、食することを禁じられているということは、彼らがおそらく兎を神使としているからでしょう。
鳥取の八頭町では、白兎は月読尊の仮の姿とする伝承がありますので、月読を太祖とする彼らなら当然と言えます。
また、家主に三日月型の痕跡があるというのは、もしかしたら焼印か刺青をする習慣があったのかもしれません。
▶︎アイアンロード後編より、遊牧民が馬に付けていた焼印
以下、とある歴史探究仲間A氏との会話形式で、私の旧姓について、妄想を展開していく過程をお楽しみください。(な=長緒 A=A氏)
な:三日月家のことを調べていて、私の実家の由来について気になる情報がありました。
A:えー!気になるー。
な:先ほど、オオゲツヒメの話はしましたよね。阿波では、オオゲツヒメの別名は大粟姫なのだそうです。でも私には、大粟が大栗に見えまして……。というのも、私の旧姓は大栗なんです。
な:気になって調べたら、(徳島では)大栗は大粟が変化したものでした。オオゲツヒメが降臨した山を大粟山というそうですが、その入り口が入田(にゅうた)というんです。聞き覚えがある地名だったので、実家の母に確認したら、やはり父方の出所でした。
A:素晴らしー!ワナサ→キナサ、こちらも似ていますね。(←これは気付かなかった)
※ワナサとは、和那散(わなさ=現在の海部郡海陽町鞆浦の古名)を指すと考えられ、阿波から来た人や神を表すと考えられる。丹後の羽衣伝説では、ワナサの夫婦が羽衣を隠し、天に帰られなくなった天女を養女にして酒造りをさせるが、用が済めば家から追い出すことになっている。
オオゲツヒメは伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神(とようけのおおかみ)とも同一とされますが、真偽は定かではありません。
兎を狩ったり、食することを禁じられているということは、彼らがおそらく兎を神使としているからでしょう。
鳥取の八頭町では、白兎は月読尊の仮の姿とする伝承がありますので、月読を太祖とする彼らなら当然と言えます。
また、家主に三日月型の痕跡があるというのは、もしかしたら焼印か刺青をする習慣があったのかもしれません。
▶︎アイアンロード後編より、遊牧民が馬に付けていた焼印
以下、とある歴史探究仲間A氏との会話形式で、私の旧姓について、妄想を展開していく過程をお楽しみください。(な=長緒 A=A氏)
な:三日月家のことを調べていて、私の実家の由来について気になる情報がありました。
A:えー!気になるー。
な:先ほど、オオゲツヒメの話はしましたよね。阿波では、オオゲツヒメの別名は大粟姫なのだそうです。でも私には、大粟が大栗に見えまして……。というのも、私の旧姓は大栗なんです。
な:気になって調べたら、(徳島では)大栗は大粟が変化したものでした。オオゲツヒメが降臨した山を大粟山というそうですが、その入り口が入田(にゅうた)というんです。聞き覚えがある地名だったので、実家の母に確認したら、やはり父方の出所でした。
A:素晴らしー!ワナサ→キナサ、こちらも似ていますね。(←これは気付かなかった)
※ワナサとは、和那散(わなさ=現在の海部郡海陽町鞆浦の古名)を指すと考えられ、阿波から来た人や神を表すと考えられる。丹後の羽衣伝説では、ワナサの夫婦が羽衣を隠し、天に帰られなくなった天女を養女にして酒造りをさせるが、用が済めば家から追い出すことになっている。
A氏は丹後在住なので、丹後の歴史や伝承に詳しい。
な:さらに、以前から気になっている八倉比売(やくらひめ)神社も近くにあるんです。八倉比売とは、天照大神のことで、現地では天照は卑弥呼のこととされているんです。
▶︎八倉比売神社(wikipediaより)
な:ここでは、天照の葬儀の記録が残っています。
A:天照の葬儀の話は聞いたことがあります。
な:水葬される天照をイメージして、イラストを描いたこともあるんですよ。
▶︎オーディオブック 高橋御山人の百社巡礼/其之九拾弐 八倉比売神社について、詳しく語られています。
な:確か古墳があって、五角形の井戸もあったような。
▶︎奥の院にある五角形の磐座。この他、五角形の井戸もある。
ここでA氏が神名辞典で、オオゲツヒメについて調べてくれました。
そこには、粟国(阿波国)のことを、オオゲツヒメと呼ぶと書かれていました。
な:阿波はオオゲツヒメですか!オオゲツヒメは確かに大粟姫ですから、アワの語源かも。大粟山にある大粟神社は上一宮みたいですし。
な:さらに、以前から気になっている八倉比売(やくらひめ)神社も近くにあるんです。八倉比売とは、天照大神のことで、現地では天照は卑弥呼のこととされているんです。
▶︎八倉比売神社(wikipediaより)
な:ここでは、天照の葬儀の記録が残っています。
A:天照の葬儀の話は聞いたことがあります。
な:水葬される天照をイメージして、イラストを描いたこともあるんですよ。
▶︎オーディオブック 高橋御山人の百社巡礼/其之九拾弐 八倉比売神社について、詳しく語られています。
な:確か古墳があって、五角形の井戸もあったような。
▶︎奥の院にある五角形の磐座。この他、五角形の井戸もある。
ここでA氏が神名辞典で、オオゲツヒメについて調べてくれました。
そこには、粟国(阿波国)のことを、オオゲツヒメと呼ぶと書かれていました。
な:阿波はオオゲツヒメですか!オオゲツヒメは確かに大粟姫ですから、アワの語源かも。大粟山にある大粟神社は上一宮みたいですし。
ここで再び、大栗の語源について。
な:ちなみに、栃木の大栗も調べましたら、加茂氏の神社がありまして、そこの地名が多田!
※多田と加茂氏の関係について、詳しくはオオタタネコと熊野の神をご覧ください。
な:佐野市のサノは神武天皇の幼名からだと思ったら、やはりそうでした。
A:よく見つけますよねー。
な:何となく臭うので(笑)
な:オオゲツヒメは、馬に乗って大粟山へやってきたと言われていますが、(入田を流れる)鮎喰川を船で来たのではないかとの説もありました。多分、大栗は阿波忌部に関係がありそうな気がします。忌部なら、ワナサですね。
※「ワナサオオソ神」(大麻比古神、大麻神)は県南部に拠点を構えた阿波忌部族で、その航海力をもって日本海側の石見・出雲・丹後に進出したと言われている。
な:そういえば、ワナサのナサは波という意味だそうで、出雲の稲佐の浜とは一文字違い。ワナサのワは、倭ではないかとありました。
A:豊岡にも奈佐地名がありましたね。
な:コウノトリの郷の近くですね。(コウノトリの繁殖施設)
A:あーーー!!
な:?
A:(月出神社の祭神は)月読だ!!
な:出た〜!!
A:同じ地区ですがなーー
な:マジですか
A:マジです!!奈佐川が流れてて、奈佐地区です。
な:びっくり〜!
A:私もかなりびっくりです!!
な:忌部氏は出雲にも行ってますよね。やはりイナサもその関係かも。
な:ちなみに、愛知と東京にも大栗という遺跡があるみたいです。関係があるかどうかは分かりませんが。
※大栗遺跡(愛知県北設楽郡設楽町)縄文時代早期から 弥生時代前期の遺物が出土。
※大栗川周辺遺跡(東京都多摩市内)縄文時代晩期の新堂遺跡や、約4000年前(縄文時代中期)のヒスイ製品、全国でも数例しか存在しない、縄文時代前期の人面装飾土器等。
A:京丹後市の藤杜(ふじこそ)神社にワナサの祠があり、お祀りされてますわ。本殿の真後ろにあるので、主祭神でしょう。
▶︎藤杜神社 (京丹後Picksより)
な:丹波道主(たんばのみちぬし)は、ワナサではないでしょうか?(←単なる勘)
※丹波道主 垂仁天皇の皇后日葉酢姫の父。四道将軍として、タニハ(現丹波、丹後、但馬地域)に派遣された。
A:えーーー!それはあるかも!!
な:船岡神社も京丹後でしたよね。あそこは道主の邸宅跡でしたよね。
▶︎船岡神社(京丹後市)
A:はい。すぐ近くです。
な:月の輪田(つきのわでん)も近いし。
▶︎月の輪田 豊受大神が天照の為に米作りをしたと伝えられる、月の形をした田。
A:藤杜神社は、比沼麻奈為神社とは、川を渡った磯砂山(いさなごやま)の麓です。
な:天女伝説の!
A:はい。そうです。
▶︎磯砂山 日本最古の羽衣伝説発祥地と言われている
な:以前から、日葉酢媛を始めとする道主の娘たちが八乙女のような気がしていました。
A:羽衣伝説は詳しく言うと二つあるんです。南方系の羽衣天女の話(藤社神社)と、北方朝鮮系(比沼麻奈為神社)と。阿波から伝わったとされるのが、藤社神社側の話です。
A:やはり、ここが元伊勢だあ!!あちゃー。豊受大神→養蚕の神となってる!!創始者 丹波道主命!!
ー興奮冷めやらぬまま、ここで一旦終了ー
▶︎awa-otoko's blogより
な:鮎喰川の由来が分かりました。日神子、ヒミコ!だから、八倉比女神社では、天照大神が卑弥呼なんですね。
A:なるほどー!私は天照大神説はかなり好きな説です。
な:私もその説に基づいて、小説のなかで卑弥呼の弟を月読にしました
A:あーーーー!そうですよね!
以上
いつもこんな感じで、見解(妄想?)を深めています。
な:ちなみに、栃木の大栗も調べましたら、加茂氏の神社がありまして、そこの地名が多田!
※多田と加茂氏の関係について、詳しくはオオタタネコと熊野の神をご覧ください。
な:佐野市のサノは神武天皇の幼名からだと思ったら、やはりそうでした。
A:よく見つけますよねー。
な:何となく臭うので(笑)
な:オオゲツヒメは、馬に乗って大粟山へやってきたと言われていますが、(入田を流れる)鮎喰川を船で来たのではないかとの説もありました。多分、大栗は阿波忌部に関係がありそうな気がします。忌部なら、ワナサですね。
※「ワナサオオソ神」(大麻比古神、大麻神)は県南部に拠点を構えた阿波忌部族で、その航海力をもって日本海側の石見・出雲・丹後に進出したと言われている。
な:そういえば、ワナサのナサは波という意味だそうで、出雲の稲佐の浜とは一文字違い。ワナサのワは、倭ではないかとありました。
A:豊岡にも奈佐地名がありましたね。
な:コウノトリの郷の近くですね。(コウノトリの繁殖施設)
A:あーーー!!
な:?
A:(月出神社の祭神は)月読だ!!
な:出た〜!!
A:同じ地区ですがなーー
な:マジですか
A:マジです!!奈佐川が流れてて、奈佐地区です。
な:びっくり〜!
A:私もかなりびっくりです!!
な:忌部氏は出雲にも行ってますよね。やはりイナサもその関係かも。
な:ちなみに、愛知と東京にも大栗という遺跡があるみたいです。関係があるかどうかは分かりませんが。
※大栗遺跡(愛知県北設楽郡設楽町)縄文時代早期から 弥生時代前期の遺物が出土。
※大栗川周辺遺跡(東京都多摩市内)縄文時代晩期の新堂遺跡や、約4000年前(縄文時代中期)のヒスイ製品、全国でも数例しか存在しない、縄文時代前期の人面装飾土器等。
A:京丹後市の藤杜(ふじこそ)神社にワナサの祠があり、お祀りされてますわ。本殿の真後ろにあるので、主祭神でしょう。
▶︎藤杜神社 (京丹後Picksより)
な:丹波道主(たんばのみちぬし)は、ワナサではないでしょうか?(←単なる勘)
※丹波道主 垂仁天皇の皇后日葉酢姫の父。四道将軍として、タニハ(現丹波、丹後、但馬地域)に派遣された。
A:えーーー!それはあるかも!!
な:船岡神社も京丹後でしたよね。あそこは道主の邸宅跡でしたよね。
▶︎船岡神社(京丹後市)
A:はい。すぐ近くです。
な:月の輪田(つきのわでん)も近いし。
▶︎月の輪田 豊受大神が天照の為に米作りをしたと伝えられる、月の形をした田。
A:藤杜神社は、比沼麻奈為神社とは、川を渡った磯砂山(いさなごやま)の麓です。
な:天女伝説の!
A:はい。そうです。
▶︎磯砂山 日本最古の羽衣伝説発祥地と言われている
な:以前から、日葉酢媛を始めとする道主の娘たちが八乙女のような気がしていました。
A:羽衣伝説は詳しく言うと二つあるんです。南方系の羽衣天女の話(藤社神社)と、北方朝鮮系(比沼麻奈為神社)と。阿波から伝わったとされるのが、藤社神社側の話です。
A:やはり、ここが元伊勢だあ!!あちゃー。豊受大神→養蚕の神となってる!!創始者 丹波道主命!!
ー興奮冷めやらぬまま、ここで一旦終了ー
▶︎awa-otoko's blogより
な:鮎喰川の由来が分かりました。日神子、ヒミコ!だから、八倉比女神社では、天照大神が卑弥呼なんですね。
A:なるほどー!私は天照大神説はかなり好きな説です。
な:私もその説に基づいて、小説のなかで卑弥呼の弟を月読にしました
A:あーーーー!そうですよね!
以上
いつもこんな感じで、見解(妄想?)を深めています。
オオゲツヒメは大月姫とも書けるよなぁ。
だとすれば、大月氏と関係あるかも……?
入田では丹が採れたらしいから、ニュウは丹生かな。
なんてね。